東京地方裁判所 昭和47年(ヨ)2320号 判決 1974年1月31日
申請人
浅井清宏
外一九名
申請人ら訴訟代理人
岡邦俊
外二名
被申請人
株式会社光文社
右代表者
五十嵐勝弥
右訴訟代理人
大城豊
外二名
主文
一 申請人らが被申請人の従業員である地位を有することを仮に定める。
二 被申請人は申請人らに対し、昭和四七年四月一日から本案判決確定に至るまで、毎月二五日限り、別表1記載の各金員をそれぞれ仮に支払え。
三 申請人らのその余の申請をいずれも却下する。
四 訴訟費用は被申請人の負担とする。
事実
<前略>
第三 申請の理由
一 被申請人は肩書地に本店を置き、「女性自身」などの週刊誌、「宝石」、「小説宝石」などの月刊誌およびカッパブックスなどの書籍の編集、販売を目的とする株式会社である。
申請人らは別表3記載の年月日に被申請人に雇用され、女性自身編集部に勤務し、取材記者として「女性自身」に掲載する記事の取材業務に従事していた。また、申請人らは光文社記者労働組合(以下「組合」という。)の組合員である。<中略>
第五 抗弁
一 解雇の意思表示
被申請人は昭和四七年三月三一日申請人らに対し、解雇予告手当として三〇日分の平均賃金を提供のうえ、同日限り申請人らを解雇する旨の意思表示をした。
女性自身記者就業規則(以下「就業規則」という。)第二一条は「記者が左の各号の一に該当するときは、契約を解除する」と規定し、その第五号には「天災地変、災害およびその他やむを得ない事由で「女性自身」発行の継続が不可能になつたとき、または事業経営上やむを得ない事由が生じたとき」との定めがある。本件解雇は同条同号の「事業経営上やむを得ない事由が生じたとき」との定めに基づいてなされたものである。
二 解雇理由<中略>
(三) 取材記者の雇用制度の廃止理由
被申請人は、以下述べるような取材記者の勤務の実態等からして、取材記者を雇用することはもともとできない性質のものであり、取材記者の雇用制度を採用したことには根本的な誤りがあるとの判断のもとに、取材記者の雇用制度を廃止することにしたものである。
1 勤務の実態
週刊誌の魅力はその記事のニュース性にあるので、週刊誌の編集にあたつてはいち速く記事の取材にあたることが必要とされ、したがつて、これにあたる取材記者は絶えず最新のニュースを追い求めなければならない。のみならず、ニュース性の希薄な実用記事などについてみても、その取材にあたる取材記者には、限られた短期間内に他社の週刊誌の企画に遅れず、より優れたものを生み出す努力が要求される。このような事情から、取材記者の勤務は時間的に不規則であり、取材記者を一般的に就業時間などにおいて拘束することは不可能である。また、取材記者は担当業務が記事の取材である関係上社外勤務が多く、したがつて、その労務管理は極めて困難にならざるを得ない。そして、このことは女性自身編集部に勤務する取材記者の場合ついても同様である。
同部に勤務する取材記者の所定就業時間は、就業規則第四〇条第一項により、午前九時三〇分から午後五時三〇分まで(但し、うち一時間は休憩時間であり、土曜日は午前零時三〇分までである。)と定められているところ、取材記者の雇用制度を採用した昭和四四年一一月一日から本件争議開始直前の昭和四五年三月三一日までの間のうち、ごく通常時と思われる同年一月一九日から同年二月一三日までの間の平日勤務(土曜日、日曜日、祝日の勤務を除いたものである。)における、同部に勤務する取材記者三三名の出勤時刻、時間内勤務時間数、時間外勤務時間数、社外勤務時間数等は次のとおりである。すなわち、出勤時刻は平均午前一一時一六分であり、時間内勤務時間数は一日平均五時間二分で、一日の所定就業時間数の約六三パーセントであり、時間外勤務時間数は一日平均三時間四分で、一日平均の勤務時間数の約三八パーセントであり、社外勤務時間数は一日平均二時間四五分で、一日平均の勤務時間数の約三四パーセントである。また、昭和四四年一一月一日から昭和四五年三月三一日までの間における同部に勤務する取材記者の時間外勤務時間数は一か月平均二九時間(時間外勤務手当にして金一四、二二〇円である。)で、月々漸増の傾向にあり、同年二月のそれは一か月平均三八時間(時間外勤務手当にして金一七、九七八円である。)であつた。
同部に勤務する取材記者の勤務の実態は右のとおりであつて、時間内勤務の体制がとれず、しかも時間外勤務時間数は月々漸増の傾向にあり、また、社外勤務が多く、これに加えて、後述のとおり、各種伝票類の提出、記載がルーズであつたので、労務管理も極めて困難であつた。
2 賃金
「女性自身」に掲載する記事の取材を請負つている取材記者に対する報酬はいわゆる出来高払制であるが、女性自身編集部に勤務する取材記者に対しては、被申請人と組合との間に昭和四四年一〇月三一日締結された「女性自身記者の給与に関する協定」と題する労働協約(以下「給与協定」という。)に基づいて、賃金として月々基本給(本給、能力給、年令給、年令調整給、更新給、付加給)、諸手当(配偶者手当、住宅費補助手当、通勤手当、時間外勤務手当)、食費補助が支給され、このほかに賞与も支給されている。しかしながら、同部に勤務する取材記者の勤務の実態は前述のとおりであるうえ「女性自身」に掲載する記事の取材担当者は各記事の性質、内容により選定されるので「女性自身」の各号についてこれに掲載する記事の取材に同部に勤務する取材記者全員が常に関与している訳でもないし、取材の難易やその結果等によつては、担当の取材記者に賃金以外の金員を支払う必要すらあるので、これらの事情を勘案した場合、同部に勤務する取材記者に対し右のとおり賃金や賞与を画一的に支払うことは不合理であり、経営の維持に困難を来たすことになる。<中略>
4 年令構成
「女性自身」の読者層は、その年令についてみれば、63.3パーセントが一八才から二四才までの女性で、84.2パーセントが二九才までの女性であり、その学歴についてみると、六〇パーセントが高等学校在学中かもしくは高等学校卒業者であつて、「女性自身」はいわば二〇才をピークとする未婚女性のための世代専門雑誌である。したがつてこれに掲載する記事の取材にあたる取材記者には、二〇才代の女性の感覚が必要とされる。<後略>
理由
一申請の理由第一項(当事者)のうち、被申請人が申請人らを雇用した年月日を除くその余の事実および申請人小野、同川越、同富所、同村上を除くその余の申請人らが遅くとも昭和四四年一一月一日には被申請人に雇用されていたことは、当事者間に争いない。<証拠>によれば、被申請人が申請人小野、同川越、同富所、同村上を雇用した年月日は、昭和四五年二月二日であることが認められ<証拠判断省略>。
二解雇の意思表示について
抗弁第一項の事実は、本件解雇が就業規則第二一条第五号の「事業経営上やむを得ない事由が生じたとき」との定めに基づいてなされたものであることを除いて、当事者間に争いない。
三解雇理由について
(一) 取材記者の雇用制度の採用について
当事者間に争いない事実と<証拠>によれば、次の事実が認められる。
被申請人は昭和三三年一二月一日「女性自身」を創刊し、これに掲載する記事の取材業務に取材記者を関与させてきた。そして、申請人小野、同川越、同富所、同村上を除くその余の申請人らには昭和四四年一一月一日以前より取材記者としてこの業務に関与させてきた。ところが、昭和四〇年一〇月一五日結成された組合は、結成直後の同月二三日以降再三にわたり、組合所属の取材記者について社会三保険(健康保険、失業保険、厚生年金保険)への加入を要求してきた。これに対し、被申請人は、(イ)取材記者との契約は雇用契約ではなく、委任契約である、(ロ)取材記者との契約は担当業務、取材活動の実態等からして本来請負契約であるべきである、(ハ)取材記者はいわゆるタレントであり、その取材活動の実態からして、雇用化するのに適さない、(ニ)取材記者という根本問題を検討する必要がある、等というような理由から、その都度この要求を拒否してきた。そこで、昭和四四年四月の春闘時に至り、組合は光労組と共闘のうえ、この要求を掲げて三七日間にわたり闘争を展開し、ことに同年四月一七日から同月二五日までの間は連日のように取材活動拒否におよんだ。そのため被申請人は同年五月一四日「女性自身」が休刊となる事態が生ずることを避けるため、やむなくこの要求を受け入れ、取材記者について雇用制度を導入して、同記者との契約は一か年の雇用契約とすることで組合と合意した。そしてその後、この制度の採用に必要な措置として、被申請人は就業規則の制定や給与協定「女性自身記者の休日および時間外勤務に関する協定」と題する労働協約(以下「時間外勤務等協定」という。)等の締結について組合と交渉を重ねて種々検討を加え、同年一〇月三一日給与協定の締結、翌一一月一日就業規則の制定をみて、ここに前記一一月一日をもつて雇用制度が発足した。そこで被申請人は、同日付で「女性自身」に掲載する記事の取材業務に関与していた取材記者七九名のうち、申請人小野、同川越、同富所、同村上を除くその余の申請人らを含む組合所属の取材記者三八名と雇用契約書を取り交わし、さらに同月一七日には時間外勤務等協定を締結(前記一一月一日適用)し、なお、組合の要求により取材記者を公募して、前認定のとおり申請人小野、同川越、同富所、同村上を雇用契約書を取り交わして雇用した。
(二) 取材記者の雇用制度の廃止について
当事者間に争いない事実と<証拠>によれば、次の事実が認められる。
組合は昭和四五年の春闘に際し光労組とともに、金六〇、〇〇〇円の賃上げや賃金格差の撤廃等を要求して、同年四月一七日から無期限ストライキに入り、以来同年七月一〇日結成された臨労組をも加えて本件争議となり、本件争議は昭和四七年三月に至つてもなおその解決をみることができないまま続いていた。そして、その間被申請人は本件争議により「女性自身」を昭和四五年四月二〇日から同年八月二三日まで休刊せざるを得なくなつたりなどした。そこで、被申請人は、本件争議により経営上大きな痛手を受けたから会社再建の一環としてなすものであるとして「女性自身」に掲載する記事の取材業務はすべて取材記者に請負わせることにより遂行するとの方針のもとに、取材記者の雇用制度を昭和四七年三月三一日限りで廃止し、同日付をもつて女性自身編集部に勤務する申請人らを含む取材記者二四名(うち組合に所属しているものは二三名である。)全員を解雇することとした。
(三) 取材記者の雇用制度の廃止理由について
1 勤務の実態について
抗弁第二項(三)1の第一段の事実は、取材記者を一般的に就業時間などにおいて拘束することは不可能であり、また取材記者の労務管理は極めて困難にならざるを得ず、このことは女性自身編集部に勤務する取材記者の場合についても同様であることを除いて、当事者間に争いない。また、当事者間に争いない事実と<証拠>によれば、抗弁第二項(三)1の第二段の事実が認められる。
以上によれば、女性自身編集部に勤務する取材記者については、時間内勤務体制がその実態においてとられていないということができ、また社外勤務も多いので、被申請人にとつてはその労務管理にかなりの困難をともなうことは否定できないといえよう。
しかしながら<証拠>によれば、就業規則第三二条には「記者は、(中略)職務上、社外での活動が主たるに鑑み(後略)」との定めがあることが認められること、<証拠>によれば、時間外勤務等協定の了解事項第五項には、同部に勤務する取材記者が休日および時間外勤務をした場合には、一回について三時間三〇分の限度において、始業時刻より遅れて出勤したり終業時刻より早く退社することができ(これをそれぞれ遅出とか早帰りという。)、遅出、早帰りは遅刻、早退としない旨の定めがあり、これが運用において、昭和四五年一月一九日から同年二月一三日までの間の平日勤務における、同部に勤務する取材記者三三名の遅出時間数と早帰り時間数の合計は一日平均一時間四九分であることが認められるところ、この定めは取材記者の勤務の実態を考慮し、これに合わせて設けられたものといえること、また<証拠>によれば、取材記者の雇用制度を採用するに先立つ昭和四四年四月から同年九月当時における取材記者の一週間における記事取材業務に従事した時間数は、一か月平均約五〇時間であり、したがつて前認定のような就業規則における就業時間、実労働時間をかなり超えていたと認められること、これらのことに加えて、一般的にいつても、取材記者はもともと時間的に不規則であり、また担当業務が記事の取材である関係上社外勤務が多いことは、昭和三三年一二月「女性自身」創刊以来一〇年余りの週刊誌出版について経験を有する被申請人において熟知していたというべきであり、しかも前認定のように雇用制度の採用に至るまでの間には半年におよぶ準備、検討の期間もあつたこと、以上の諸点からすれば、取材記者の雇用制度を採用すれば同部に勤務する取材記者について時間内勤務体制がとれなくなるとか、その労務管理に困難をともなうことになるというようなことは、被申請人においてこの制度採用の当初から当然予期されていたものというべきである。
2 賃金について
女性自身編集部に勤務する取材記者に対しては、被申請人と組合との間に昭和四四年一〇月三一日締結された給与協定に基づいて、被申請人主張のとおり賃金ならびに賞与が支給されていることは、当事者間に争いない。しかるに、<証拠>によれば、被申請人は給与協定の締結にあたり、能力給を中心とする賃金体系にすべきことを主張したが、基本給が従前支給されていた金額を下回らないようにすることを基本として、右のような賃金体系の給与協定の締結に至つたものであることが認められる。ところで、被申請人においては、すでに述べたように、同部に勤務する取材記者の勤務の実態がどのようなものであるかについては、同記者の雇用制度の採用の当初から予期していたものである以上、これが実態を考慮したうえで給与協定を締結したといわざるを得ず、そうだとすれば、同部に勤務する取材記者の勤務の実態からして、給与協定に基づいて賃金ならびに賞与を支給することが仮に不合理であるとしても、これは自ら蒔いた種子の結果に過ぎないといえよう。また<証拠>によれば、「女性自身」に掲載する記事の取材担当者は各記事の性質、内容によりそれぞれ記者のなかのエキスパートが選定されるという事情や取材業務の進行状況との関係等からして、「女性自身」の各号の個々についてみれば、これに掲載する記事の取材に同部に勤務する取材記者全員が常時関与しているとはいえないが、このことは取材業務に全く関与しない取材記者がいるということを意味するものではなく、その号の取材業務に関与しなかつたとしても、その記者はこれと同時に進行している他の号の取材業務などには関与しているものであることが認められる。そうすると、「女性自身」の各号についてこれに掲載する記事の取材業務に同部に勤務する取材記者全員が常に関与しているとはいえないということは、給与協定に基づいて賃金ならびに賞与を支給することを必ずしも不合理ならしめるものではなく、また、以上のような取材業務への関与の態様についても、被申請人において雇用制度を採用するにあたつて承知していたことは、前記説示から明らかである。
3 取材意欲について
被申請人は、取材記者の雇用制度を採用した昭和四四年一一月一日以降における女性自身編集部に勤務する取材記者の勤務態度が極めて劣悪であつたと主張する。
なるほど昭和四五年一月一九日から同年二月一三日までの間の平日勤務における、同部に勤務する取材記者三三名の出勤時刻は平均午前一一時一六分であり、<証拠>によれば、タイムレコードの打刻とか、休日、時間外、社外勤務についての各種届け類の伝票の提出が必らずしも所定どおり守られず、いささかルーズに流れる嫌いがあつたことが認められる。しかし、出勤時刻については、すでに述べたように遅出時間数と早帰り時間数の合計が一日平均一時間四九分であることと、前掲<証拠>から認められる、取材記者用の机、椅子はその人数分だけ本店に備え付けられておらず、このことも手伝つて取材記者は目白にある編集部別館に出勤することもあるところ、同所にはタイムレコーダーは設置されていなかつたことからすると、出勤時刻が遅いということをもつて直ちに勤務がルーズであるということはできない。また伝票類の提出、タイムレコードの打刻についても、このことが直ちに取材意欲の乏しいことを示しているとはいえない。加えて、取材記者の勤務意欲云々というような事柄は、本来取材記者の個々人について問題とされるべき性質のものであつて、取材記者の雇用制度の廃止理由として問題とされるべき性質のものではない。さらに、所属長の指示に容易に従わない態度を示したりするとの点については、<証拠>中にこれに沿う記載や供述部分がなくはないが、これを裏付けるような具体的事実を認めるに足りる疎明はなく、この点も本制度の廃止理由として問題とされるべき性質のものでないことは前同様であるといえる。
4 年令構成について
<証拠>によれば、「女性自身」の読者層は、被申請人が昭和四六年六月ころにした調査によると、その年令と学歴についてみれば被申請人主張のとおりであり、未婚、既婚の別についてみると、64.4パーセントが未婚の女性であり、「女性自身」の読者層の年令構成や未婚者と既婚者の割合はその創刊以来ほとんど変化がないこと、昭和四七年三月三一日当時における女性自身編集部に勤務する取材記者のうち申請人竹内を除いた二三名の年令構成は被申請人主張のとおりであり、同日当時における同部に勤務する編集担当者のうち役職者を除いた二二名の平均年令は28.8才であることが認められる。
これによれば「女性自身」の読者層は主として一〇才代の終りから二〇才代にかけての未婚女性であるから、これに掲載する記事の取材にあたる取材記者には、このような女性が持つている感覚と同じような感覚の持主であることが望ましく、また、取材記者が高年令化してくれば、取材記者と編集担当者の業務上の関係から、若くて経験が浅い編集担当者は年令、経験という点において取材記者に頭が上がらないという現象が生ずる場合がある、と一般論としていえるかもしれない。しかし、昭和四七年三月三一日当時における同部に勤務する取材記者のうち申請人竹内を除いた二三名の平均年令は前述したように30.1才であつて、「女性自身」の読者や編集担当者のそれとさほどかけ離れてはおらず、被申請人の主張する前記一般論と同趣旨の問題が同部に勤務する取材記者全体についてあるとはみられないし、このような問題が現に生じているということを裏付けるような具体的事実を認めるに足りる疎明もない。のみならず<証拠>によれば、被申請人は、取材記者の高年令化をおそれ、昭和四四年五月一四日より以前から取材記者は三〇才以下であるべきであると表明し、また雇用契約に関する労働協約の締結や就業規則の制定にあたつては、取材記者について三〇才あるいは四〇才定年制の定めを設けることを主張したが、結局このような定めは置かれずに終つたことが認められる。したがつて、同部に勤務する取材記者に高年令化にともなう問題が生ずるおそれがあるとしても、そのことは同年一一月一日の取材記者の雇用制度採用の当初から予期されていたところである。
四解雇の無効
以上説示したところを綜合して要約すると、次のとおりである。被申請人が女性自身編集部に勤務する取材記者の雇用制度を廃止する理由として指摘する問題点は、制度の本質論とかかわりのない取材意欲の点は論外として、その余の問題も、被申請人においてこれが制度の採用にあたつてすべて予見していたものであり、かように問題があることを承知しながらしかもこれについて十分な準備、検討の期間を経て、あえてこれが採用に踏み切つたのである。にもかかわらず被申請人は、昭和四四年一一月から同四五年四月中旬までわずか五か月余りのこの制度運用の実績だけしかないのに、しかも<証拠>から明らかなように、右実績についても、この制度の採用と「女性自身」の営業成績との関係を前記期間に接着する前後の期間と対比して分析、検討するとか、この制度の改善策を講ずる等することもなく、昭和四〇年一〇月以降労使間における懸案事項であつたこの制度を昭和四四年一一月一日一旦採用しながら、昭和四七年三月三一日限りで廃止(この時点において廃止を必要とすべき特段の事情については、なんら疎明がない。)したのである。加えて、被申請人はこの制度の実施期間中である昭和四五年二月二日に、申請人小野、同川越、同富所、同村上を公募により取材記者として採用している。
そうだとすれば、本雇用制度の廃止をもつてこれが同制度の発足後やむを得ない事由が生じたことに基づくものとはとうてい解せられず、したがつて右廃止を理由とする申請人らの解雇が就業規則第二一条第五号の「事業経営上やむを得ない事由が生じたとき」に該当するとはいえない。
よつて、申請人らに対する本件解雇の意思表示は、いずれも就業規則の所定の解雇基準に基づかないものとして、無効というべきである。
五被保全権利と保全の必要性
以上認定のとおり本件解雇は無効であるから、申請人らは依然として被申請人の従業員である地位を有する。それにもかかわらず被申請人はそれを争つているから、申請人らはその地位の暫定的確認を求める利益がある。また、被申請人は本件解雇が有効であると主張して申請人らの就労を拒否しているから、申請人らは被申請人に対し、本件解雇の翌日である昭和四七年四月一日以降分の賃金請求権を失わない。その金額等については、申請人浅井を除くその余の申請人らの昭和四五年三月当時における基本給、配偶者手当、住宅費補助手当の額が別表2記載のとおりであることは、当事者間に争いない。また、当事者間に争いない事実と<証拠>によれば、申請人浅井の同月当時における基本給は金七一、一九〇円、配偶者手当は金四、一二〇円、住宅費補助手当は金二、三〇〇円であることが認められる。したがつて、申請人らの同月当時における基本給、配偶者手当、住宅費補助手当の合計は別表1記載のとおりとなる。ところで、申請人らの同月当時における時間外勤務手当については、昭和四四年一一月一日から昭和四五年三月三一日までの間における女性自身編集部に勤務する取材記者の時間外勤務時間数が一か月平均二九時間で、時間外勤務手当にして金一四、二二〇円であることは前認定のとおりであるか、これをもつて申請人ら個々人の時間外勤務手当の算定根拠とすることはできないし、他にこれを認めるに足りる疎明もない。また、賞与についてみると、<証拠>によれば、給与協定第一一条には、「会社は、主として「女性自身」の事業実績に応じて賞与を支給することがある。」との定めがあり、第一二条には、「賞与は、記者の勤務成績にもとづいて、会社が査定する。」との定めがあることが認められる。そうすると、申請人らは、被申請人による勤務成績の査定と賞与支給決定がなければ、これを請求することができないのであるが、この点については何らの疎明もない。なお、賃金の計算期間と支払期日が、毎月当月末日締めの当月二五日払いであることは、当事者間に争いない。
<証拠>によれば、申請人らは失業保険金、友人や知人からの借金、親からの援助あるいは雑誌の出版社などから記事の取材業務とか執筆を請負うなどのアルバイト等によりようやく生活費を得ており、アパートの部屋代の支払いとか衣料品等生活必需品購入費、医療費等の捻出にもこと欠くなど、その生活は困窮状態にあることが認められる。したがつて、申請人らには別表1記載の賃金の仮払いを受ける必要性がある。
六結論
よつて、本件申請は、申請人らが被申請人の従業員である地位を有することを仮に定めることと、被申請人が申請人らに対し、昭和四七年四月一日から本案判決確定に至るまで、毎月二五日限り、別表1記載の賃金を仮に支払うことを求める範囲で相当と認められるので、保証を立てさせないでこれを認容する。その余の申請は、被保全権利の疎明を欠くし、保証をもつてこれに代えることは相当でないので、失当としていずれも却下する。訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。
(宮崎啓一 安達敬 飯塚勝)
<別表省略>